Interview01
【#店舗オーナー】パン屋ソノマノ インタビュー(前編)鬼無里への移住は偶然か、必然か。ソノマノがパン屋になるまでのはなし

【#店舗オーナー】パン屋ソノマノ インタビュー(前編)鬼無里への移住は偶然か、必然か。ソノマノがパン屋になるまでのはなし

長野市街地から車で30分。人口約2000人ほどの鬼無里地区で2008年よりパン焼きをスタートしたソノマノさん。毎週水曜日と土曜日のみ店内のカフェスペースをオープンして、ここでしか味わえないパンやピザを提供されています。そんなソノマノの竹内 正和さん・俊子さんご夫婦にインタビューさせていただきました。これまでどんな経緯で歩んできたのか、どんな想いで店を運営されているのか、そして後編ではなぜヤマとカワのコーヒーを選んでいただいたのか、など、盛りだくさんのインタビューをお届けします!

ソノマノ


長野市や小川村(長野市の西隣)などの各所にパンの配達をしており、ヤマとカワ珈琲店もそのうちの1つ。
※ソノマノパンが売っているお店は下記のHPをチェック!

住所:長野県長野市鬼無里日影419

HPはコチラ

『東京での経験』

川下:こんにちは!今日はよろしくお願いします。さっきもチラッと言ったんですけど、これシリーズ化したくって。その第1回目です

俊子:卸先のみんなそれぞれに同じ内容で聞くの?おもしろいね

川下:ソノマノさんに限らずなんですけど、ネットで調べてみるとお店の営業情報とか商品のことは多いですけど、そこよりももっと裏の話を聞いてみたいな、と

俊子:うんうん

川下:そもそも出身はお二人とも長野じゃないんですもんね?正和さんは愛知でしたっけ?

正和:ぼくは愛知

俊子:わたしは東京だね

川下:ですよね?で、東京で結婚されて?そのときにはもうパンを作ってたんでしたっけ?

俊子・正和:作ってないね

川下:そう言えば、パン屋になったきっかけとか知らないなと思って

俊子:あ、そうか。元々は何やってたかは知ってる?

川下:もともとはデザインでしたよね?

俊子:そうそう。ディスプレイデザインっていう仕事をしてた。ショーウィンドウとかにマネキン運んで、デパートから借りてきた商品を飾ったりとかそういう仕事。で、同じ会社で先に正和さんがいて、

川下:あ、じゃあ元々同じ会社だった

俊子:そう、先輩です

正和:そうなんです

川下:それは知らなかった

正和:長いよね~

川下:じゃあ東京のデパート勤務ってことですか?

正和:そうそう

川下:めっちゃ都会じゃないですか(笑)

正和:そう、銀座だよ(笑)

川下:銀座!?そうなんだ。すごい!それがなぜ?

正和:(笑)

川下:じゃあ愛知から東京に出たのはどのタイミングだったんですか?学生のとき?

正和:愛知から東京に出たのは僕が高校卒業して、東京に行って。専門学校だったんだけど。って…そっから話すの??笑

川下:そこはやっぱ馴れ初めとか、ヒストリーを…笑

正和:まあそこに至るまでのね。簡単に言うとね、僕が東京に行ってから電気関係の専門学校を卒業して、最初は電子関係の会社に就職したんだけど、そこをやめてデザインの仕事がやりたいと思ってデザインの学校にまた通って、でたまたまデパートに入って

川下:じゃあそこに入って勤めて、その会社のときにご結婚されて

正和:そうそう

俊子:結婚して、二人とも仕事はやめたんだよね

川下:へー、じゃあ結婚して何かやるから辞めますって言う感じ?

俊子:そうそう独立して同じ仕事を二人でやるような感じで、デザイン事務所を興して。だから個人事業はそこで一回やってるんだよ

川下:えー!そうなんだ!

俊子:8年間ぐらいはやってるんだよね

川下:前の会社は何年務めたんですか?

俊子:正和さんは15年くらい?私は9

川下:あ、じゃあけっこう長いっすね。そこから個人事業で8年ってことは、そっちの畑は23年くらいしてるってことですよね

正和・俊子:そうそうそう

川下:じゃあパン屋よりも全然そっちの方が長いってこと?

俊子:そうだね!そういうことだね!全然追いついてないね、まだまだ

川下:じゃあ、そこからなんでパン屋に?

俊子:独立して個人事業の間に子ども二人産んでるんだよね。子どもを産んでからも仕事を続けられるのかとか。ディスプレイデザインの仕事ってデパートの閉店後から朝までとか夜仕事になっちゃうから、やれるかなあとかそういうのもあって、もうちょっと自由な方がいいか、って

川下:なるほど。じゃあ東京にいる間にもうパン屋をやってたってこと?

俊子:いや、パン屋は鬼無里に来てからだね。鬼無里に移住してからも最初はディスプレイの仕事を引きずりつつ、年に何回かだけど東京に行って仕事したり。でもフリーな時間もある、みたいな

正和:フェードアウトだよね

俊子:そう、東京での仕事がフェードアウトして、パン屋が盛り上がるって感じかな

川下:そうなんだ。てっきり東京でパン屋としての手応えをつかみつつ鬼無里に移住したのかと思ってました。全然違った。

俊子:そうそう

 

『鬼無里との出会い』

 
川下:じゃあなんでなおさら鬼無里なんですか?

俊子:鬼無里はね、たまたま家があったからなんだよね。ほんとにね

川下:でもその仕事をずっと個人でもやってたら東京のほうがやりやすそうじゃないですか?

正和:その仕事は辞めるって決めてたから。で、こっち(鬼無里)に来てまで本当はやるつもりはなかったんだけど。こっちに来てもすぐに仕事ができるわけではないし、どうしてもやってくれって言われたら、しょうがないなたまにはやるか、みたいな感じで。それで少し東京での仕事を引きずりながらね

俊子:そうそう。でもそれでよかったよね。結果的によかった。全然収入がゼロ円じゃあね。ここの家は住めるは住めるけど、最初は水道から山の水しか出てこなくて。市営の水道を自分で引かないとお店の営業はできないんだよ。浄化槽も入っていなくてそれも入れなきゃいけないとか。とにかくインフラ面からやらなきゃいけなくて。そういうのとパン小屋を作るっていうのをやって、1年半くらいかけてようやく保健所の許可が取れて。引っ越してくるときからさ、『パン屋さんが来るらしいよ、パン屋さんが来るらしいよ』って鬼無里の役場でもうね、そういう話になってて

川下:じゃあこっちに来てパン屋をやるっていうのは決めていたんですね

俊子:私はパンをやりたいって言ってて、でも正和さんは木工をやるんだって言って、一応ちゃんと習いに行ったりとかして、準備してたんだけど、テーブル一個作っても誰が買うか分からない、いつお金になるか分からないんじゃ食べていけないじゃん!ていう。それでとりあえずこっち(パン)からやろうって引きずり込み。で、3人目の子が鬼無里に来て2年後に生まれたんだよ。そのときからパンの作る方を正和さんがやり始め、っていう感じだね

川下:へえ~。じゃあ東京で仕事もあったけど、暮らしのことを考えて田舎へ、という感じ?

俊子:それは子どものこともあるよね。本当に渋谷から近いような、代官山と中目黒とかさ。その辺だったんだよね。だから公園もきれいなんだけど入っちゃいけないの。芝生に入っちゃいけない公園なの。ボール遊びもやっちゃいけないの。そんなのさあ、みたいな

川下:そうだよなあ

俊子:そういうところに居ちゃったから、余計に。で子どもたちは代々木公園みたいな広いところで遊べるじゃんって言ってもそういうところあまり好きじゃないんだよね。人がいっぱい居すぎるところで伸び伸びできない子たちで

川下:じゃあそういう姿を見て田舎の方がいいかなあとか?

正和:とかね。自分もそういうところで育ってたから

川下:子どものそういう姿を見たら、そうなりますよねぇ。あれ、出身は愛知のどこですか?

正和:半田っていうところ

俊子:うん、知多半島

正和:今でこそ住宅地なんだけど昔はなーんにもないところで、田んぼと畑と原野。でもそう、蛍だっていっぱいいたんだからねえ

俊子:今じゃとんでもない()

川下:その半田とかじゃなくて長野やったっていうのは何かあるんですか?

正和:半田はそのときにはもう住宅地で

川下:愛知寄りの、南信の方とかもあるじゃないですか

俊子:南信は見た!南信から探していって

正和:南信中心に見てたよね

俊子:最初ね。でもなかなかね、ヒットしなくて

川下:でも、それすごいことっすね。僕も移住してきた身ですけど、僕はまあ言ったら独り身だったから簡単に決められたけど、全然縁もない所に家族で、しかもここ(鬼無里)でしょう?

正和・俊子:()

川下:すごくないですか?

俊子:別にどこでもよかったんだよ。どこじゃなきゃっていうのもなくて、あんまり調べたらもう動けなくなるんだよね。人口が何人とか、その先も考えてってなったら何もできなくなっちゃう

川下:じゃあ実際はどうやって調べていったんですか?

俊子:不動産屋情報で、

正和:南信の方は行政が空き家バンクとか色々おいでおいでっていう政策をとってたの。その当時は長野市は全然やってなかった

川下:そうなんですね

正和:北の方は本当に少なかったね。(南信を中心に探していたのは)だからっていうのもあったし、雪の心配も全くなかったわけじゃないから。どうせなら雪ないほうが楽じゃない?っていう感じで南から。でも探し始めてしばらくした頃に『鬼無里』ってエリアの家があってすごい印象的だったんだけど

川下:名前とかも含め?印象的だったってことですね?

正和:そう、読めないもんね。一回どんな所か行ってみたいねって言ってたんだけどそのときは縁がなくて。2年ぐらい経って、また出てきて。うちらも今度はちょっと北の方で探してみようってなって何軒か泊りがけで見に行って。ちょっとこれ良いんじゃねえ?って。ただね、岩手県の遠野市ってところに友達がいて、そこも積極的に移住者の世話をしてくれてて。そっちにも声はかけてあったから、実は次の週にそっちに行く予定をしてて。そっちを見てから決めるかって

川下:えー!じゃあ岩手だった可能性も?

正和:あったんだよねえ。そしたらここ(鬼無里)はね、他にも見たいって人がいるんだけど。って

川下:ちょっとプレッシャーを()

正和:(鬼無里に決めてもらうための)そういうやりかたじゃない?でも本当だったらどうする?って

川下:じゃあそういうところを何軒か見て気に入った家もあったと

正和:そう、色々なところをね。家も然ることながら周りの風景とか、ここは水が本当にきれいで。ミネラルウォーターが蛇口から出てくるから。東京から見れば、すごいよね

川下:そうですよね

正和:その不動産屋さんがね、地区の人たちにも予め取り合ってくれてて。まあ、(他の理由としては)観光地じゃないとかね。

鬼無里の風景。晴れた日には北アルプスも見える
画像提供元:ソノマノ

川下:じゃあ鬼無里に来て、そういう周りの景色を見て、ここにしようという風に決まったってわけなんですね?

正和:それも一つなんだけどね

川下:実際移住してみて、最初はどうでした?

俊子:東京にいる時から火がある暮らしとか、そういうほうがよっぽど興味があったんだよね。東京みたいに物を買うのも、なんでもお金を払わなきゃできないっていう環境よりも、そこにあるもので充分楽しめたりとか、野草も山菜もそうだし、畑で何か作ったりとか。これから私たちが作りたいと思う欲望はそっちのほうにあって。私は東京育ちでそういう土臭いことはあんまりやってなかったから、余計にだよね

川下:それめっちゃわかります

俊子:畑なんてやってないもんね

川下:そういう暮らしをやってみたいってなって、もう12年とか経つじゃないですか。どうですか?大変、とか

俊子:大変とかはあるけどさ、大変が当たり前になってるから。当たり前だと大変じゃないんだよね。日常になるともうそれは大変なことではなくて。寒いなとかは我慢した。めっちゃ寒かった、本当に。でも年々工夫してちょっとずつ暖かくなっていって、薪のストーブ入れられたりとか、まあ、面白かったよ。子どもと一緒にさ、自分で直す派だから大工さんとかあんまり頼まないんだよね。だから一生かけていじくっていくというか。その楽しみの古屋っていう感じだから。子どもの成長と合わせて変わっていくのとかも面白いしね。今じゃ煙突5本も立ってる。

 

『鬼無里にある材料だけでつくるパン』

川下:じゃあパン屋をやるっていう前提で色々見ていたんですか?それか、鬼無里に来てから周りの状況を見てパン屋にするって決めたんですか?

正和:パン屋をやるってのは決めていた。でもパン屋といっても、ここにお店を開くつもりは無かったから、どこだって良かったんだよ。パンが焼ければ良いっていう

川下:それは作って売りに行けるっていう商売の仕方的にもパンがいいんじゃないかっていう?

正和:そうだね

川下:パンの作り方は、独学なんですね?誰かのところにパン教室に通ったとかは

正和:俊子さんはね、少し

川下:じゃあ基礎だけちょっとパン教室に通って、そこからオリジナルに変えていったみたいな感じですか?

正和:まあ、さわりだけね。基礎の基礎

川下:ソノマノのパンって良い意味で硬いじゃないですか。そのちょっと硬めのパンっていうのは始めた頃から変わらず?

俊子:・・・・成長ないねえ()

川下:いやいや、成長ないっていう意味じゃなく

俊子:変わらずだね

川下:最初から変わらないってすごいですね。やってるうちにちょっと変わるとかってありそうじゃないですか。ウチはやりつつ営業スタイルも営業時間も変わったから

俊子:あ、本当?最初からコンセプトは全然変わらないかな。食べ物が体を作ると思っているから、食べるものを自分たちがいいと思うもので作りたいし、自分たちが食べたいパンを田舎に来ても食べたいとか

川下:いろんな人に聞いても、ソノマノさんのパンってちょっと特殊じゃないですか

俊子:そうなんだ()

正和:多分ね、日本で一番ヘビーなパン

川下:でもそんな、悪い意味じゃないんですけど、硬いっていうので特徴はすごくあると思うんですけど

正和:『鬼無里にある材料だけで昔ながらに作ったらできちゃうであろうパン』みたいなのを目指してて

川下:それがソノマノっていう名前にも繋がるっていうことですもんね

俊子:パン用の粉、強力粉の凄い強いので作ると軽いパンができるけど、鬼無里で採れる身近なものでってなると『おやき』を作る地粉みたいな感じで。それで作るとそんなには膨らまないんだよね。その上『ふすま』を入れたりドライフルーツとか混ぜちゃうと余計に膨らまないんだよね()

正和:自家製酵母でしょ、それも

俊子:イーストみたいに純粋培養のものとは違うから、色々な菌が混ざり合って味に奥行が出るんだよね

川下:うん、めっちゃ美味しいっす

俊子:でも硬い、みたいな()

川下:でもそれって、最初から売れたんですか?

俊子:最初?最初は売れないよね(笑)でもパン好きな人がいて、すっごい応援してくれて。その人がずっと買ってくれて

川下:それは長野市街地の人?

俊子:ううん、ここの鬼無里の人

川下:へえー!

俊子:「若いお母さんがいつも買い物に来るから、ココにこの時間に売りに行きなよ!」とか「支所の人が買うからここに来なよ」とか、「学校にもおいでよ」とかみんな言ってくれるんだよね。みんな地元のそういうところで買ってくれて。で、支所の人とかがまた鬼無里から長野の本町とかに異動すると、そこで鬼無里にこういうパン屋があるよって広めてくれて、そこで注文取ってくれて。そこまで配達に行くんだけど、その販売形態がずーっと続いてる

川下:すごいですね。そしたら最初から結構順調というか

正和:順調というか…

俊子:順調ではないけどねえ。ちびちびだよ。ちびちび

川下:じゃあそうやってちょっとずつ積み重なっていったってことなんすね

俊子:こういうコミュニティだからそうなったんだよね。田舎の小さい所で、みんな誰でも顔知ってて、子どもも親もじいちゃんもばあちゃんも全部知ってる中で、うちがこうでこうで頑張ってるよって言うとみんな力を貸してくれて

川下:じゃあそれが良かったんですね。この辺の地域の人って長野市街地に勤めてる人が多いんですか?

俊子:うん、いっぱいいる

川下:そういうのもあるのかもしれないですね。地域の外で口コミしてくれる。それで逆に市街地の人がまた来てくれたり

俊子:そうそう

川下:なるほどなあ。おもしろ

俊子:子どももいるからね。子どもがいなかったら全然違うと思うよ

川下:保育園のお母さんたちとつながると強いですよね。うちも保育園の親つながりでコーヒー豆買ってくれたり、ありがたいなぁと思ってます

俊子:すごいよね、だから子どもが広げてくれる縁だよね

川下:全然知らんかったなあ。めちゃくちゃ尖ったパン屋さんに映りますよ多分、ソノマノさんのパンだけ見た人は

俊子:まじで?コンセプトのある、頭でっかちな感じの(笑)

川下:こだわりがあるじゃないですか

俊子:うんうん

川下:芯はすごく強いなって。印象的なのは、コーヒーグラノーラを一緒に作ったじゃないですか。あの時に僕は生地に混ぜ込むのはデカフェがいいと思って。デカフェだったら妊婦さんでも食べられると思って提案したら、できるだけそのままの素材を使いたいから、デカフェはカフェインを抜く処理を一回しているから、ペルーの方が良いって言ってた時に、あ、すげえなってめっちゃ思いましたよ。芯をちゃんと持ってるなって

俊子:うちとしては対公衆的なところよりも素材選びのときにいつも自分たちが何を選んでいるかっていうのを大切にしているからね。だからどこのドライフルーツを使うのかっていうのと一緒で、その選び方だとデカフェよりもオーガニックのペルーの豆がいいとか、そういう。香りもペルーはすごく良いから。ペルー好きは本当に多いね。美味しくできてよかったよね

 

『鬼無里にある「場所」のためのカフェ』

川下:さっきパンなら作って売りに行けるからパンにしたって聞いたんですけど、パンを焼きつつ畑をしながら暮らすっていうのはイメージつくんですけど、ここをカフェとしてもオープンさせたじゃないですか、2年前くらいからでしたっけ?ウチも最初はカフェもやってたけど、今はもうやめちゃって、コーヒー豆を焙煎して売るっていうスタイルにした。それだとある程度時間を作れるし、やりたい暮らしとのバランスもとりやすいなって実感してて。こういう人が集まる場所を作ると、なんとなく自由な時間は少なくなっちゃうのかなーってイメージがあるんですが

俊子:それはある。特に鬼無里は人が少ないわけだから、来るか来ないか分からないお客さんに対して毎日お店を開けているのは絶対に無理っていって、それで人がいるところに売りに行くっていう形を取った。だからカフェ営業は週2回だけ、って。週2回っていうとお休みがですか?って言われるんだけど()

川下:オープンしよう、こういう場所を作ろうってなったのは何でなんですか?

俊子:お店にする気はそもそもなかったんだもんね

正和:そうだね

俊子:だから、、、流れで

川下:流れ!?

正和:お店はないって言ってても、お客さんは来ちゃうんだよね

川下:鬼無里に?ああ、買いにか

俊子:製造場所として住所書いてあるじゃない?お客さんはそこがお店だと思い込んでるから

川下:へえー、買いに来ちゃうんだ

俊子:そう、来ちゃう

川下:来たら、家じゃん!ってなるってことですか?

俊子:そう、お店はどこですか?って

川下:あー、なるほど

俊子:めっちゃ洗濯物干してるけど、って(笑)

正和:遠くから来てくれる人も中にはいたりして、さすがにそれ申し訳ないなあって

俊子:お茶の一杯も出してあげたいよね、でもそんな場所もないね、って。ここで販売ですごいお金を稼ごうっていうつもりでオープンしたというよりかは、「場」だよね。お客さんとの交流の場とか、そういうイメージで。お店は11時オープンだから、パンは11時までしか焼いてないのね。それで二人で店に入っちゃうから、夜中の2時からやっても11時までだと数がそんなに…

正和:朝だよ、朝

俊子:朝?

正和:朝の2時って言ってくれない?

俊子:朝、朝か()朝の2時からやってもそんなに数は焼けないから。それで稼ごうっていうならそれじゃやっていけないんだけど。でもそれ(カフェ営業)をやったら、鬼無里だからだと思うんだけど、地元のおばちゃんたちの女子会もあるし、60代の女子会もある。あとは若いお母さんたちが飲みたいんだけど、夜お店やってくれない?とか。みんな「場」が欲しいみたい

川下:確かにね、公民館とか借りるのもありますけどね

俊子:料理やお酒を出してもらえたらいいし、みたいな

川下:確かにお金払うから何かちょっと作って、っていう

俊子:だからお酒は持ち込みでいいよとかね。まあ今はコロナであれだけど、そんなこともしてみたり。カフェを作ったことで違う展開が出てきたよね

正和:あとねえ、お店になるっていうと、こないだの取材もそうなんだけど

俊子:ああ、取材増えてるかも

正和:取材を求めているわけじゃないにしても、認知度はお店があるのとないのじゃ全然違うみたい

川下:そうかも

俊子:そうだよね。お店がなければ、さすらいのパン屋だもんね()

川下:そうですよね()店があるって、信用度みたいなのはある気がするな

正和:その辺は僕らは考えてもみなかったところで

川下:たとえば通販でも、オンラインショップだけでやってる店よりも、実店舗もあってオンラインもやってるっていう方が信用度はある気がするかも

俊子:そうだね、そうだよね

川下:パンを作って卸してるお店に配達してっていうのを8年くらいやってから、カフェオープンですもんね。で、カフェが2年とかですもんね

俊子:カフェが今3年目か?12月で丸3年になるのか

正和:12月で3年かあ

俊子:ここを改装するときもタイミング的に地震があって、『神城断層地震』って白馬が震源地だった地震で、うちはこの界隈じゃいちばん被害があって、壁とか抜けちゃったりとか。どこもかしこもだから、ハー…ってになって、かなりあれはしんどかった。何年前になるの?あれ

川下:2014ですかね。うちがオープンした年だった気がするなあ。そっか、ここそんなだったんだ

俊子:そう。じゃあ、これからどうする?みたいな感じになって。泣く泣く片付けたりしてて。そしたら長野市の補助金みたいなのがあるよって教えてくれる人がいて。じゃあそれをステップにして次に行くか、みたいな感じで考えて。クッキーとか焼いたりする工房だけ作ろうと思ってたんだよね。そしたら市の職員の人に、「店絶対やったほうがいいですよ」、「新たなこと始めた方がいいです」って散々押されて。あんまり興味ないなあ、と思いながら()

正和:そうだっけ。最初はイートインスペース?みたいな感じで考えてたもんね

俊子:そうそう、買ったものをここで食べていいよ、みたいな感じで

川下:あー、今コンビニにあるスペースみたいな感じですね

正和・俊子:そうそう、そんな程度で

川下:でも考えとしてはそうですよね。負担は全然違いますもんね

俊子:忘れてたけど、そんな案もあったね

【後編】はこちら↓↓

ソノマノの記事はこちら
【#店舗オーナー】パン屋ソノマノ(後編)

photo:古厩 志帆