パン屋ソノマノ インタビュー【第1巻】鬼無里への移住は偶然か、必然か。ソノマノが『パン屋』になるまでのはなし

パン屋ソノマノ インタビュー【第1巻】鬼無里への移住は偶然か、必然か。ソノマノが『パン屋』になるまでのはなし

ヤマとカワ珈琲店の店主カワシタが、コーヒー豆を取り扱っていただいているお店に直接行って話をする企画 『お客さんに会いたくて~卸店編~』。

卸先のオーナーやスタッフの方々が、これまでどんな経緯で歩んできたのか、どんな想いで店を運営されているのか、なぜヤマとカワのコーヒーを選んでいただいたのか、など、日常の営業の中ではなかなか聞けない深くて濃い話を聞いてみたい!とスタートした企画です。

どちらかが一方的に話すインタビュー形式ではなく、僕とお客さんの会話をそのままお届けしたいと考えています。

1回目のお客さまは、長野市鬼無里にあるパン屋『ソノマノ』の竹内 正和さん・俊子さんご夫婦です。

ソノマノとは


長野市街地から車で30分。人口約2000人ほどの鬼無里地区で2008年よりパン焼きをスタート。
毎週水曜日と土曜日のみ店内のカフェスペースをオープンしている。
長野市や小川村(長野市の西隣)などの各所にパンの配達をしており、ヤマとカワ珈琲店もそのうちの1つ。
※ソノマノパンが売っているお店は下記のHPをチェック!

ソノマノ
住所:長野県長野市鬼無里日影419
店舗営業:水曜・土曜の11:0017:00
HP:http://www.sonomano.jp/
facebook:https://www.facebook.com/kinasasonomano/
instagram:https://www.instagram.com/sonomano.kinasa/

『東京での経験』

川下:こんにちは!今日はよろしくお願いします。さっきもチラッと言ったんですけど、これシリーズ化したくって。その第1回目です。
俊子:卸先のみんなそれぞれに同じ内容で聞くの?おもしろいね。
川下:ソノマノさんに限らずなんですけど、ネットで調べてみるとお店の営業情報とか商品のことは多いですけど、そこよりももっと裏の話を聞いてみたいな、と。
俊子:うんうん。

川下:そもそも出身はお二人とも長野じゃないんですもんね?正和さんは愛知でしたっけ?
正和:ぼくは愛知
俊子:わたしは東京だね
川下:ですよね?で、東京で結婚されて?そのときにはもうパンを作ってたんでしたっけ?
俊子・正和:作ってない
川下:そう言えば、パン屋になったきっかけとか知らないなと思って
俊子:あ、そうか。元々は何やってたかは知ってる?
川下:もともとはデザインでしたよね?
俊子:そうそう。ディスプレイデザインっていう仕事をしてた。ショーウィンドウとかにマネキン運んで、デパートから借りてきた商品を飾ったりとかそういう仕事。で、同じ会社で先に正和さんがいて、
川下:あ、じゃあ元々同じ会社だった
俊子:そう、先輩です
正和:そうなんです
川下:それは知らなかった
正和:長いよね~
川下:じゃあ東京のデパート勤務ってことですか?
正和:そうそう
川下:めっちゃ都会じゃないですか(笑)
正和:そう、銀座だよ(笑)
川下:銀座!?そうなんだ。すごい!それがなぜ?
正和:(笑)
川下:じゃあ愛知から東京に出たのはどのタイミングだったんですか?学生のとき?
正和:愛知から東京に出たのは僕が高校卒業して、東京に行って。専門学校だったんだけど。って…そっから話すの??笑
川下:そこはやっぱ馴れ初めとか、ヒストリーを…笑
正和:まあそこに至るまでのね。簡単に言うとね、僕が東京に行ってから電気関係の専門学校を卒業して、最初は電子関係の会社に就職したんだけど、そこをやめてデザインの仕事がやりたいと思ってデザインの学校にまた通って、でたまたまデパートに入って。
川下:じゃあそこに入って勤めて、その会社のときにご結婚されて
正和:そうそう
俊子:結婚して、二人とも仕事はやめたんだよね
川下:へー、じゃあ結婚して何かやるから辞めますって言う感じ?
俊子:そうそう独立して同じ仕事を二人でやるような感じで、デザイン事務所を興して。だから個人事業はそこで一回やってるんだよ
川下:えー!そうなんだ!
俊子:8年間ぐらいはやってるんだよね
川下:前の会社は何年務めたんですか?
俊子:正和さんは15年くらい?私は9年。
川下:あ、じゃあけっこう長いっすね。そこから個人事業で8年ってことは、そっちの畑は23年くらいしてるってことですよね。
正和・俊子:そうそうそう
川下:じゃあパン屋よりも全然そっちの方が長いってこと?
俊子:そうだね!そういうことだね!全然追いついてないね、まだまだ。

川下:じゃあ、そこからなんでパン屋に?
俊子:独立して個人事業の間に子ども二人産んでるんだよね。子どもを産んでからも仕事を続けられるのかとか。ディスプレイデザインの仕事ってデパートの閉店後から朝までとか夜仕事になっちゃうから、やれるかなあとかそういうのもあって、もうちょっと自由な方がいいか、って。
川下:なるほど。じゃあ東京にいる間にもうパン屋をやってたってこと?
俊子:いや、パン屋は鬼無里に来てからだね。鬼無里に移住してからも最初はディスプレイの仕事を引きずりつつ、年に何回かだけど東京に行って仕事したり。でもフリーな時間もある、みたいな。
正和:フェードアウトだよね
俊子:そう、東京での仕事がフェードアウトして、パン屋が盛り上がるって感じかな。
川下:そうなんだ。てっきり東京でパン屋としての手応えをつかみつつ鬼無里に移住したのかと思ってました。全然違った。
俊子:そうそう

『鬼無里との出会い』

 
川下:じゃあなんでなおさら鬼無里なんですか?
俊子:鬼無里はね、たまたま家があったからなんだよね。ほんとにね。
川下:でもその仕事をずっと個人でもやってたら東京のほうがやりやすそうじゃないですか?
正和:その仕事は辞めるって決めてたから。で、こっち(鬼無里)に来てまで本当はやるつもりはなかったんだけど。こっちに来てもすぐに仕事ができるわけではないし、どうしてもやってくれって言われたら、しょうがないなたまにはやるか、みたいな感じで。それで少し東京での仕事を引きずりながらね。

俊子:そうそう。でもそれでよかったよね。結果的によかった。全然収入がゼロ円じゃあね。ここの家は住めるは住めるけど、最初は水道から山の水しか出てこなくて。市営の水道を自分で引かないとお店の営業はできないんだよ。浄化槽も入っていなくてそれも入れなきゃいけないとか。とにかくインフラ面からやらなきゃいけなくて。そういうのとパン小屋を作るっていうのをやって、1年半くらいかけてようやく保健所の許可が取れて。引っ越してくるときからさ、『パン屋さんが来るらしいよ、パン屋さんが来るらしいよ』って鬼無里の役場でもうね、そういう話になってて。
川下:じゃあこっちに来てパン屋をやるっていうのは決めていたんですね
俊子:私はパンをやりたいって言ってて、でも正和さんは木工をやるんだって言って、一応ちゃんと習いに行ったりとかして、準備してたんだけど、テーブル一個作っても誰が買うか分からない、いつお金になるか分からないんじゃ食べていけないじゃん!ていう。それでとりあえずこっち(パン)からやろうって引きずり込み。で、3人目の子が鬼無里に来て2年後に生まれたんだよ。そのときからパンの作る方を正和さんがやり始め、っていう感じだね。
川下:へえ~。じゃあ東京で仕事もあったけど、暮らしのことを考えて田舎へ、という感じ?
俊子:それは子どものこともあるよね。本当に渋谷から近いような、代官山と中目黒とかさ。その辺だったんだよね。だから公園もきれいなんだけど入っちゃいけないの。芝生に入っちゃいけない公園なの。ボール遊びもやっちゃいけないの。そんなのさあ、みたいな。
川下:そうだよなあ
俊子:そういうところに居ちゃったから、余計に。で子どもたちは代々木公園みたいな広いところで遊べるじゃんって言ってもそういうところあまり好きじゃないんだよね。人がいっぱい居すぎるところで伸び伸びできない子たちで。
川下:じゃあそういう姿を見て田舎の方がいいかなあとか?
正和:とかね。自分もそういうところで育ってたから
川下:子どものそういう姿を見たら、そうなりますよねぇ。あれ、出身は愛知のどこですか?
正和:半田っていうところ。
俊子:うん、知多半島。
正和:今でこそ住宅地なんだけど昔はなーんにもないところで、田んぼと畑と原野。でもそう、蛍だっていっぱいいたんだからねえ。
俊子:今じゃとんでもない()
川下:その半田とかじゃなくて長野やったっていうのは何かあるんですか?
正和:半田はそのときにはもう住宅地で
川下:愛知寄りの、南信の方とかもあるじゃないですか
俊子:南信は見た!南信から探していって
正和:南信中心に見てたよね
俊子:最初ね。でもなかなかね、ヒットしなくて。
川下:でも、それすごいことっすね。僕も移住してきた身ですけど、僕はまあ言ったら独り身だったから簡単に決められたけど、全然縁もない所に家族で、しかもここ(鬼無里)でしょう?
正和・俊子:()
川下:すごくないですか?

俊子:別にどこでもよかったんだよ。どこじゃなきゃっていうのもなくて、あんまり調べたらもう動けなくなるんだよね。人口が何人とか、その先も考えてってなったら何もできなくなっちゃう。
川下:じゃあ実際はどうやって調べていったんですか?
俊子:不動産屋情報で、
正和:南信の方は行政が空き家バンクとか色々おいでおいでっていう政策をとってたの。その当時は長野市は全然やってなかった。
川下:そうなんですね。
正和:北の方は本当に少なかったね。(南信を中心に探していたのは)だからっていうのもあったし、雪の心配も全くなかったわけじゃないから。どうせなら雪ないほうが楽じゃない?っていう感じで南から。でも探し始めてしばらくした頃に『鬼無里』ってエリアの家があってすごい印象的だったんだけど。
川下:名前とかも含め?印象的だったってことですね?
正和:そう、読めないもんね。一回どんな所か行ってみたいねって言ってたんだけどそのときは縁がなくて。2年ぐらい経って、また出てきて。うちらも今度はちょっと北の方で探してみようってなって何軒か泊りがけで見に行って。ちょっとこれ良いんじゃねえ?って。ただね、岩手県の遠野市ってところに友達がいて、そこも積極的に移住者の世話をしてくれてて。そっちにも声はかけてあったから、実は次の週にそっちに行く予定をしてて。そっちを見てから決めるかって。
川下:えー!じゃあ岩手だった可能性も?
正和:あったんだよねえ。そしたらここ(鬼無里)はね、他にも見たいって人がいるんだけど。って。
川下:ちょっとプレッシャーを()
正和:(鬼無里に決めてもらうための)そういうやりかたじゃない?でも本当だったらどうする?って。
川下:じゃあそういうところを何軒か見て気に入った家もあったと
正和:そう、色々なところをね。家も然ることながら周りの風景とか、ここは水が本当にきれいで。ミネラルウォーターが蛇口から出てくるから。東京から見れば、すごいよね。
川下:そうですよね。
正和:その不動産屋さんがね、地区の人たちにも予め取り合ってくれてて。まあ、(他の理由としては)観光地じゃないとかね。

鬼無里の風景。晴れた日には北アルプスも見える
画像提供元:ソノマノ

川下:じゃあ鬼無里に来て、そういう周りの景色を見て、ここにしようという風に決まったってわけなんですね?
正和:それも一つなんだけどね。
川下:実際移住してみて、最初はどうでした?
俊子:東京にいる時から火がある暮らしとか、そういうほうがよっぽど興味があったんだよね。東京みたいに物を買うのも、なんでもお金を払わなきゃできないっていう環境よりも、そこにあるもので充分楽しめたりとか、野草も山菜もそうだし、畑で何か作ったりとか。これから私たちが作りたいと思う欲望はそっちのほうにあって。私は東京育ちでそういう土臭いことはあんまりやってなかったから、余計にだよね。
川下:それめっちゃわかります
俊子:畑なんてやってないもんね。
川下:そういう暮らしをやってみたいってなって、もう12年とか経つじゃないですか。どうですか?大変、とか。
俊子:大変とかはあるけどさ、大変が当たり前になってるから。当たり前だと大変じゃないんだよね。日常になるともうそれは大変なことではなくて。寒いなとかは我慢した。めっちゃ寒かった、本当に。でも年々工夫してちょっとずつ暖かくなっていって、薪のストーブ入れられたりとか、まあ、面白かったよ。子どもと一緒にさ、自分で直す派だから大工さんとかあんまり頼まないんだよね。だから一生かけていじくっていくというか。その楽しみの古屋っていう感じだから。子どもの成長と合わせて変わっていくのとかも面白いしね。今じゃ煙突5本も立ってる。


photo:古厩 志帆

第2巻へつづく