権堂の飲み屋で思い出したコト

先週の土曜日から妻と子供たちが実家に帰っていました。

1か月ほど前から「この日から帰るね」ということを聞かされていたので、

ここぞとばかりに、久しぶりに夜に出かける予定を組んでみました。

 

下の子が生まれた5月から、なかなか夜に出かける機会は作れてなかったので、久しぶりの夜の街です。

(もともとそんなに夜飲みに行きたいタイプでもないけれど)

 

 

土曜日の夜はヤマとカワのデザイン周りで携わってくれてる友人と権堂のディープな居酒屋へ。

もともと良いと思えるもの価値観が近い(と僕は感じている)ので、久しぶりに会って近況を話すたびにこちらも得られるものがある。

 

SNSやこのブログでの発信って、僕からの一方通行が多いじゃないですか。(たまに感想をいただけるのがとても嬉しかったりする)

そうなると、アウトプットばかりを消費して、自分の中身がどんどん枯れていっているのを感じる時があります。

 

その点、人(特に価値観が近い人)と話すと、こちらのアウトプットに反応してくれる言葉に「あー、そういう考えもあるかー」と新たな思考がインプットされ、アウトプットとインプットが永遠に繰り返されるループになる。

話せば話すほど、どんどん新しいモノが入ってくる感じ。

 

友人もきっと久しぶりにそういう感覚に遭遇したのか、

飲みながら、お互いメモを取るという不思議な飲み会になった。

 

 

 

 

ここ数か月、夜みんなが寝静まってから誰かのnoteを読み漁るのを繰り返している。

そこで見つけて最近はっとした記事、「幸せだけど、たのしくない?」

 

ここに書いてある、

「幸せ」と「心おどる高揚感」はまったく別のもので干渉し合わない とか、

「いつもと同じ」を好むようになり、ひょうひょうとした軽やかさがなくなる とか、

この辺が自分と重なってとても刺さった記事だ。

 

 

下の子が生れて、兄妹の成長や息子とのプールなど家族の時間はとても幸せに満ち溢れている。

今しかないこの時間は、僕の中で最優先事項に位置している。

家族のために仕事をできている、ってことが自分の幸せと喜びだと思っていたけど(今も思っている)、

たしかに『幸せ』と『心おどる高揚感(楽しいー!ってなる気持ち)』は違うように感じるし、

自分から意識して動かないと後者は得られないように感じる。

 

いつもと同じ、を選んでばかりいると、幸せと楽しいは両方得ることは出来ないのだ。

 

 

 

久しぶりに飲みにでかけて、まだまだこういう事ができるな!ってワクワクする想像をいっぱいした。

映画を見にでかけても同じような感覚を得られるのかもしれない。

 

これからも最優先事項は「家族との時間」に変わりはないけれど、

自分のペースで、今までよりもちょっと積極的に『たのしい』を追いかけてみようかと思った。

幸せでたのしい日々を僕たちも過ごせるように。

 

あ、そのためにはもちろん、妻にもそういう時間を取れるようにしないとですね。