虫採りから子供の未来を考える

 

最近のわが息子

 

うちの息子は現在3歳半になって、すっかり男の子っぽい興味を持ち始めている。

 

外に出れば工事現場で働く車にいちいち反応するし、線路沿いを通れば踏切が鳴るだけでテンションが上がる。

そんな教科書通りの男子だから、当然カブトムシやクワガタなんかの昆虫にも興味を示し始めている。

最近はカブトムシ柄の甚平を着て寝るくらいお気に入りのようだ。

 

そんな息子を連れて、先日ついに虫取りデビューをしてきた。

100均で仕入れた頼りない強度の網と、定番のミドリの虫かごを持って、いざ大座法師池へ!

 

 

 

この時期の日中に採れるのはセミだけ

 

大座法師池とは、長野市内から戸隠神社へ向かう途中にあるため池で、その周りにアスレチックがあったり、バンガローがあったり、家族で行ってのんびりするには最高の場所。

車でたった20分くらいの距離だけど、山道を登って一気に標高を上げるので、長野市に比べて遥かに涼しい。

我が家も夏場はよくここにお世話になっている。

 

大座法師池に着いたのは夕方前の15時。

まだまだ陽も高かったけれど、標高が高いせいか、木々から聞こえるセミの鳴き声も心地よく感じた。

 

息子はここに来るまですっかりカブトムシを捕まえる気でいたけれど、カブトムシは夜行性だから、こんな時間で採れるはずもない。

夜行性という性質に納得いかない(理解できない)様子の息子を説得し、気持ちを改めセミ採りを始めた。

 

はじめて間近で見るセミにビビりまくる息子。そりゃあまだ3歳だもんな。

ということで、1時間ほどで5匹ほどのセミを、僕が採ったのでした。

 

 

 

採った虫どうする問題

 

セミを捕まえて一通り観察して、慣れてきたこともあって少しは触れるようになった息子。

それでも羽をバタバタさせるたびに驚く様子を見ては笑ってしまう。

 

そんなこんなで珈琲を飲んだり、近くで買ったベーグルを食べたり、避暑を楽しんだ夕方18時。

きっとそろそろ長野市街地も涼しくなり始めただろうということで、帰宅することに。

 

窮屈そうに閉じ込められているセミを逃がそうとしたところ、息子が「母ちゃんに見せたいから持って帰る」とごね始めました。

「いやいや、母ちゃんに見せる前に、こんなカゴに入れられてたら帰りの道中で絶対死んじゃうし可哀そうやん」と僕。

 

しばらくそのやり取りは繰り返されたのですが、なんとか息子が折れてくれて、

その日は「遊んでくれてありがとう」と言ってセミは元々居た木に返してあげて、木にくっついてるセミの抜け殻1つだけを持って帰ったのでした。

 

 

 

昆虫を飼う行為から子どもの性格形成について考える

 

大座法師池からの帰りの道中、採った虫を飼うという行為について考えてみた。

 

虫を飼うという行為、これが子供に与えてくれるモノってなんなのでしょうか。命の大切さを教えてくれる?とかなのかな。

でも、命の大切さってのを子供が理解するためには、セミやカブトムシなどの昆虫類では命の長さがあまりにも儚すぎる気がする。

 

例えば犬や猫くらい長生きして、家族として迎えいれられるような生き物であれば、大事にするだろうし、もちろん死んだ時の悲しみも感じるだろうし、「命」ってものを感じる要素はたくさんある。

でも、昆虫は、大事に丁寧に育てたとしても、そもそもの命が短すぎる。

調べてみたら、カブトムシは成虫期間がたった1~2か月!セミはさらに短くて数週間程度だそうだ。

 

こちらが大切に愛情を注いで、採取した場所とできるだけ同じような環境を用意できたとしても、きっとすぐに死んでしまう。

 

すぐに死んでしまう、という事実と、(近所の公園には)他がまだたくさんいる、という環境が揃ってしまうと、昆虫の「命」はどんどん軽く見えてしまうのではないだろうか。

 

命を軽く感じるようになってしまうと、肉や魚なんかの食べ物への感謝もできない子に育ってしまうんじゃないだろうか、とも思った。

 

昆虫を飼うという行為は、命の大切さを知るどころか、逆効果でもあり得るんじゃないかとさえ思ってしまった。

 

昆虫を飼うという行為は(僕が知らないだけで)他にも何かスペシャルな事を子供に与えてくれるとは思う。

ただ、今のところ、僕は昆虫を飼うという行為には反対意見の方が強くなってしまっている。

 

虫は採ったら飼わずに元いた場所へ返す、
キャッチアンドリリースで楽しむことを息子には伝えたいと思う。